
2011
イラスト/村松 薫
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- 2011年12月号 ほったらかし温泉
- フルーツパークのさらに上、山梨市矢坪にある富士山と甲府盆地を一望できるほったらかし温泉は、県外からの観光バスも訪れる人気の日帰り温泉。元々は高齢者向け施設を開発しようとした際、1995年に掘り当てられたもの。バブル崩壊のさなか保養施設の計画は頓挫し、簡単な露天風呂作って「ほったらかし」にしていたことがその名の由来だそうだ。
寒い中入るあたたかい露天風呂はまた格別。空気の澄むこれからの季節は、朝日に映える霊峰富士、そして甲府盆地と星空の天地一体の夜景を眺めながらの湯。なんと贅沢な「ほったらかし」だろうか。今年も山梨ならではの冬の魅力を満喫しよう。
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- 2011年11月号 ワイナリー
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日本が世界に誇るワイン産地、山梨。明治初期からワイン造りが始まり、現在80社余のワイナリーが集中する。
そんなワイナリーを巡りながら産地の魅力を楽しむ「ワインツーリズム」が好評だ。民間から独自の展開で始まったこのイベントは、今や行政も巻き込んだ地域一体型のイベントとなりつつある。体験型ツーリズムとしては数少ない成功例として脚光を浴びており、県内外から多くの参加者で賑わう。原料となるぶどうを育んだ土地の自然・人・食や文化にふれながら味わうワインは格別なことだろう。
山梨のぶどう栽培の歴史は1300年。そんなぶどうの産地で丹精こめて造られたワイン「山梨ヌーボー」が、今年もまた、11月3日に解禁を迎える。
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- 2011年10月号 酒折駅
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山梨学院大学を中心とする文教地区である酒折の駅は、朝夕の通学時間帯を中心に学生・生徒・児童の利用が多い。そんな酒折駅前、学生交流会館の1階は2010年11月に『さかおり倶楽部』として生まれ変わり、地域社会と大学の交流拠点としてコミュニテイ再生を目指して動き出した。地域コミュニテイ放送であるエフエム甲府のサテライト放送局も開設され、その中で大きな役割と使命を担っていく。
周辺には酒折宮や善光寺など、歴史ある観光名所も多い酒折地区。その歴史と文化への誇りと、地域愛をもった地域住民、地元企業、そして学生たちが集い、未来を見据えた学園文化都市として、酒折は少しづつ変わり始めている。
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- 2011年9月号 兜造古民家
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江戸末期から昭和初期にかけて、絹は農家の重要な収入源であった。養蚕は生活と生産が同一住居内で営まれるため、屋根の中を階層化し、換気や採光が行われるよう工夫されたのが兜造りの古民家だ。外観が兜に似ていることからそう呼ばれる。産業から生まれた建築様式の典型と言えるだろう。
笛吹市芦川町には100〜200年を経た156棟の兜造古民家が現存している。今や殆どの家の萱葺き屋根はトタンで覆われているものの、これほどの数の古民家が残る地域は全国的にもほぼ例がないという。その歴史的価値の中に、人の営みが滲んで見える。
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- 2011年8月号 北杜市オオムラサキセンター
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国蝶オオムラサキ。北海道から九州まで日本各地に分布するが、近年、エサ場となるクヌギなどの木々や生活の場所でもある雑木林の減少により、都市近郊では絶滅の危機にあるという。
そんなオオムラサキの全国一の生息地、北杜市にある「オオムラサキセンター」では、団体や個人と連携しながら保全活動に取り組んでおり、館内では様々な展示を見る事ができる。自然環境をはかる基準ともいえるオオムラサキ。その鮮やかな羽の色だけでなく、彼らの棲む里山の美しさにも気付かせてくれるだろう。
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- 2011年7月号 四尾連湖
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旧市川大門町にある四尾連湖は、流入する川も流出する川もない山の上の少し特殊な湖。地元に伝わる湖の伝説である尾崎龍王という名の4つの尾を連ねた竜の神がその由来とされている。山道を登ると現れるこぢんまりとした湖畔の景色や透き通った湖面は確かに神秘的。首都圏からその自然を求め、キャンプやカヌーを楽しむ人の姿も多いようだ。
甲府からも車で小一時間。電力不足で節電が騒がれる今年の夏。室内でエアコンを使わずにじっと我慢するよりも、自然の中に涼を求めてでかけてみてはいかがだろうか。
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- 2011年6月号 甲府カトリック教会
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甲府カトリック教会は、節分で賑わう横近習町の大神さんの前を東に向かった左手にある。現在の聖堂は大正14年に建てられ、当時は畳敷きだったのだそう。堂内に足を踏み入れると、ステンドグラスに天井画、そして正面に並ぶ昭和3年に作られたという6体の聖像、とりわけその一番右の武士の像が目を惹く。武士の名はトマス篭手田。江戸時代初期の名もなきキリシタン殉職者だという。
空襲の火を免れた数少ない戦前建築。歴史を感じさせるその雰囲気の中、少しだけゆっくりと時間が流れていた。
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- 2011年5月号 端午の節句
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端午の節句は奈良時代から続く古い行事。当時は邪気を避け魔物を祓う薬草とされていた菖蒲を、よもぎと共に軒にさし、あるいは湯に入れて菖蒲湯として浴した。江戸時代以降は「菖蒲」と「尚武(武士を尊ぶ)」をかけた男子の節句とされ、身を守る鎧兜を飾り、鯉のぼりを立て健やかな成長や立身出世を願って祝うようになる。
新緑の美しいこの季節。両家家族や知人を招き、みんなの笑顔で子どもを包もう。
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- 2011年4月号 天津司の舞
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地元では「オテヅシさん」「デッツクさん」の愛称で親しまれる小瀬町天津司神社の天津司舞は、重要無形民俗文化財第1回の指定を受けている日本最古の人形芝居。神を模した等身大の人形が天津司神社から下鍛冶屋町の鈴宮諏訪神社まで赤い布で顔を隠して移動し、境内で布を外して田楽舞を行う。
祭りを観に行くことも伝統文化を受け継ぐことにつながる。なにが起きるか分からないときだからこそ、春を満喫しにご家族で出かけてみてはいかがだろう。
※2011年の天津司の舞は、東日本大震災の影響を考慮し、中止となりました。
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- 2011年3月号 富士川小学校
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開校明治5年、甲府で最も古い歴史を持つ富士川小学校は今年の3月をもって閉校し、その138年の歴史に幕を閉じる。
小学校は4月から琢美小と統合し、善誘館小として現在の琢美小の校舎で新たな歴史を刻み始める。富士川小の跡地には災害時の避難所となる運動場や施設が整備される。耐震基準を満たしていない校舎と体育館は取り壊され、多目的ホールが建設されイベントやスポーツなどの市民活動にも利用できる場所になる予定。同じく耐震診断で補強の必要性が指摘されている中央保育所が移転し、「幼・壮・老」の3世代が交流できる施設となるそうだ。小学校としての役目を終えたあとも、新しい地域の交流の場としての活躍が期待されている。
校庭北側には児童の提案で学校への感謝の気持ちをつづったパネルが昨年末から設置されている。中央線の車窓からもよく見えるそのパネルは、校舎が取り壊されてもそのまま残るそうだ。思えば東京からの帰路、車窓から見える富士川小の校庭は電車の降り支度をする目印だった。卒業生でなくとも、そんな思い出のあるなじみ深い場所。校舎は姿を消しても、その場所と共にある思い出はそれぞれの心の中で決して消えることはない。
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- 2011年2月号 西湖樹氷まつり
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西湖樹氷まつりは野鳥の森公園で毎年1月末から2月にかけて行われるイベント。2000年から始まり、今年で12回目を数える。ひと月ほど前から木や骨組に散水して作られた氷のオブジェは、大きい物で高さ10メートルにもおよびなかなかの迫力である。昼は雄大な富士山をバックに、夜はライトアップされた幻想的な樹氷の姿をレンズに収めようとする大勢のアマチュアカメラマンや観光客で毎年賑わいをみせている。
最近イベント会場や観光施設で良く目にするようになったアマチュアカメラマン。デジタル化のおかげで現像に出す手間が省け、気軽にシャッターが切れるようになったこと。そしてインターネットで自身のブログなどを使い、気軽に自分の作品を公開できるようになったことなどがその普及の要因なのだそうだ。若者から年配の方々まで、自慢のカメラを片手に旅行や散策を楽しんでいる。
今年は昨年末に西湖で発見され話題となったクニマスのオブジェも急遽作られているそう。氷のオブジェにクニマス、そして雄大に富士。山梨には誇るべき自然がある。そしてその自然には人を呼ぶ魅力がある。寒い寒いと不満を漏らすだけでなくそれを好機とし捉えられるように、常にさまざまな角度からフォーカスを合わせていきたいものである。
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- 2011年1月号 出初式
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「火事と喧嘩は江戸の花」という慣用句どおり、江戸は大火事が多く火消しの働きぶりがはなばなしかった。江戸時代、頻発する火事に対応する防火・消火制度として定められた消防組織「火消」。明暦の大火の翌年、幕府直轄の武士によって組織された定火消は、御茶ノ水・麹町半蔵門外・飯田町・小石川伝通院前というすべて江戸城の北西四カ所(冬に多い北西の風による、江戸城延焼を防ぐため)設けられた。彼らは武家地・町人地の区別なく出動し、消火活動のみならず、火事場の治安維持も担当したため、鉄砲の所持と演習も許可されていたという。この定火消4組が新年に上野東照宮に集結して気勢をあげたのが出初式のはじまり。以降、火消しの役は町人へと移行し町火消という民間の火消しが登場する。
享保5年、約20町ごとを1組とし、隅田川から西を担当するいろは組47組と、東の本所・深川を担当する16組の町火消が設けられた。同時に混乱する火事場での各組の目印としてそれぞれ纏と幟が誕生し、それは火消しの象徴となっていった。火消人足による喧嘩は、「消口争い」という消火活動時の功名争いが主な原因。プライドか報酬かはさておき、そんな気風が出初式の内容に織り込まれていることは容易に想像がつく。実に日本語的ではあるが、儀式をセレモニーと表現した時点で、歴史や文化の香りが霧散してしまうように感じるのはのは私だけだろうか。
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